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Title

GHANA POPULAR MUSIC 1931-1957


ghana2931-57
Japanese Title 国内未発売
Date 1931-1957
Label ARION ARN 64564(FR)
CD Release 2001
Rating ★★★★☆
Availability ◆◆


Review

 ガーナの古いポピュラー音楽を記録したものとしては、ジェイコブ・サムことクワメ・アサレが28年に英国録音したものが英国のレーベル、ヘリテージから"KUMASI TRIO 1928"(HERITAGE HT CD-22(UK))"JACOB SAM & KUMASI 3 : VOL.2"(HERITAGE HT CD-28(UK))として復刻されている。リベリアのクル人からパームワイン・スタイルのギター奏法を直接教わり最初にガーナに伝えた人物である。アコースティック・ギターを中心に、堅い木のスティックかビンが「カチッカチッカチッ」と3連裏打ちのつっこみ加減のリズムが入るのが基本的なパターン。想像していたより、音質もよく、音楽的に洗練されていたのにおどろいた。
 
 もう1枚、米人アーサー・S・アルバーツが49年に象牙海岸、マーシャル島、リベリア、ガーナ、ブルキナ・ファソ、ギニア、スーダンなどの西アフリカを中心に採録した音楽集のなかに、カリプソや“ブルース”(アメリカのそれではなく、パームワインがより土着化したもの)の表記もあるパームワイン・スタイルの演奏が4曲収録されている。SP9枚セットで発売されたこの音源が最近、ドイツのレーベル、パヴィリオンから"TRIBAL, FOLK AND CAFE MUSIC OF WEST AFRICA"(PAVILION RECORDS GEMS 0130(DE))としてCD2枚組で復刻された。
 最近になって気づいたことだが、このなかの'DAGOMBA' という曲(実際には音楽スタイルの名称)を演奏しているのはギターバンド・ハイライフのスタイルを完成させたといわれるE.K.ニヤメ。そして、このテイクは中村とうよう氏編纂のCDブック『大衆音楽の真実・第2集』(オーディブックAB52(JP))に収録されていた。西アフリカポピュラー音楽最初期のドキュメントとして極めて高い資料価値を持つのだそうだが、大部分が民俗音楽のため、正直いって最後まで聴きとおすには忍耐を要する。
 
 そんなわけで、パームワイン・ミュージックがガーナでハイライフへと変容していく過程を見ていくには、いまのところ、2001年にフランスのレーベル、アリオンからリリースされた本盤がベストだと思う。このコンピレーションは、かつてスイスに本社のあったユニオン・トレーディング・カンパニー・オブ・ベーゼル(UTC)が、1931年から57年にかけて、ガーナとナイジェリアで記録した728タイトルにおよぶぼう大な音源をもとに構成されている。
 
『ミュージック・マガジン』の別冊、季刊『ノイズ』第8号(1990年12月31日発行)掲載の、深沢美樹と中村とうよう両氏の対談「再考・パームワイン〜ハイライフの展開」のなかで、中村氏がジョン・コリンズから譲り受けたという90分カセット14本におよぶ秘蔵音源とはこれのことではないだろうか。

 ジョン・コリンズによると、ハイライフの源流には3つの大きな流れがあるという。
 1つは、外国の水夫たち(アフロ・アメリカンも含む)によってもたらされた音楽が伝統的なアフリカの音楽と融合して生まれた音楽。水夫たちや港湾労働者が波止場の安酒場でヤシ酒(パームワイン)を飲みながら歌い演奏したことから、“パームワイン・ミュージック”と呼ばれている。
 
 かれらは、ギター、バンジョー、マンドリン、ハーモニカ、アコーディオン、コンセルティーナといった持ち運びに便利なコンパクトな楽器を用いて演奏した。19世紀末、リベリアのクル人の水夫たちが、親指と人差し指でのみで弦を鳴らす西アフリカ独特のツー・フィンガー・パームワイン・スタイルによるギター奏法を編み出すと、それらはシエラ・レオーネ、ガーナ、ナイジェリア、カメルーンなど西アフリカ一帯に、その土地独自の変容を遂げながら浸透していった。そして、ガーナではクワメ・アサレからはじまったとされるパームワイン・スタイルに、戦後、E. K. ニヤメがリズムの中心にドラム・セットをすえたことにより“ギターバンド・ハイライフ”の基本型が完成されたというのは前述のとおり。
 
 2つめの流れは、西アフリカに駐屯するヨーロッパの軍隊所属のブラス・バンドから発展した。19世紀末に英国軍として駐屯させられた西インド諸島の連隊のバンドマンたちが、空き時間に故郷カリブの音楽をブラス・バンドで演奏するのを見て、ガーナのブラス・バンドのミュージシャンたちがアフリカ版の踊れるブラス・バンド音楽(“アダハ・ハイライフ”と呼ばれる)を創作したとするコリンズの仮説は興味をそそられるところだ。
 ブラス・バンドの楽器は高価なため、それらをローカルな楽器で代用して軍楽に習った反復的なダンス音楽を奏したのが“コンコンバ・ハイライフ”である。わたしが知るかぎり、現在、CDで聴ける唯一の音源は、アムステルダム大学視覚人類学センターが監修でアフリカ、ラテン・アメリカのブラス・バンドの演奏をまとめた"FROZEN BRASS - ANTHOLOGY OF BRASS BAND MUSIC #2" (PAN 2026CD)のみである。ガーナのブラス・バンドを収めた演奏7曲のうち、とりわけインパール戦線で日本軍と戦ったメンバーを中心に60年代にレコーディングされた2曲は、50年代には消滅してしまったとされる“コンコンバ・ハイライフ”をうかがい知るための貴重な記録といえよう。ただし、ヴォーカルとパーカッションのみからなる泥臭いネイティブ・ブルースで、どう聴いてもブラス・バンドには聞こえない。ますますわからない。
 
 そして、第3の大きな流れは、“ハイライフ”の由来となった“ダンスバンド・ハイライフ”である。第2次大戦前から黒人エリートむけのダンス・オーケストラはあったものの、大きな転回点になったのは、第2次大戦中にアメリカやイギリスの軍隊が西アフリカに多数駐留したことである。かれらは、それまでのワルツ、ポルカ、フォックストロットなどに代わって、新たにスウィングをもたらした。
 
 軍隊から募集した白人ミュージシャンだけではスウィング・バンドを組むことができなかったので、地元のダンス・オーケストラから楽譜の読めるアフリカ人ミュージシャンを迎え入れた。そしてできたのが、スコットランド人サックス奏者サージェント・ジャック・レパードをリーダーとするブラック・アンド・ホワイト・スポッツであった。
 “キング・オブ・ハイライフ”といわれるE.T.メンサーは、このバンドのメンバーとなり、楽器の奏法や音楽の組み立てなど、多くのことを吸収した。戦争が終わって、多くのスウィング・バンドがつぶれていったなかで、メンサー率いるテンポスはスウィング・タッチを含んだ新しいハイライフを創造したことで、50年代西アフリカで大成功を収めることになる。
 
 これら3つの大きな流れのほかに、無視できないのは教会音楽の影響である。本盤中、もっとも古い31年と36年録音の2曲はアフリカナイズされた讃美歌。39年録音の'ANOMA OREKO'は、讃美歌風のコーラスと“アカン・ブルース”といわれる6/8拍子の土着化したリズムが融合して生まれた“ゴスペル・ハイライフ”の典型といえそう。
 
 上の讃美歌以外の19曲は、“ギターバンド・ハイライフ”と“ダンスバンド・ハイライフ”の2系統のいずれかにカテゴライズできる。さきの'ANOMA OREKO'や、重低音のベースとパーカッションにファンキーな混声コーラスがかぶさる54年録音のギャクズ・ギター・バンド(最高!)のような“ゴスペル・ハイライフ”は、“ギターバンド・ハイライフ”の下位カテゴリーと考えていいだろう。しかし、“ギターバンド”と“ダンスバンド”とでは同じ“ハイライフ”を冠していても、音楽のスタイルがまったくことなっていて、交わるところがあまり見あたらない。
 
 本盤でダンスバンド・ハイライフはわずか5曲にとどまり、残りはパームワイン〜ギターバンド・ハイライフの流れを汲むバンド演奏がしめる。
 ダンスバンド・ハイライフとしては、キング・ブルース率いるブラック・ビーツ、元テンポスのメンバーで結成されたレッド・スポッツ、伝説のギタリスト、ジェイコブ・サムの甥にあたるクワー・メンサーの作品を演奏したレイディオ・バンドなど、それなりに聴きどころのある内容ながら、ダンスバンド・ハイライフを知りたければ、むしろE.T.メンサーキング・ブルースランブラーズなどの単独アルバム、それにオリジナル・ミュージック発売のコンピレーション"GIANTS OF DANSEBAND HIGHLIFE"(ORIGINAL MUSIC OMCD011(US))とその続編"TELEPHONE LOBI : MORE GIANTS OF DANSEBAND HIGHLIFE"(ORIGINAL MUSIC OMCD033(US))あたりを聴いたほうがベターだと思う。
 そこで以下では、パームワイン〜ギターバンド・ハイライフの流れを汲むバンドの演奏についてくわしく述べることとする。
 
 30年代の録音は、讃美歌の2曲を除けば全部で5曲。まず、H.K.ウィリアムズの斬新なスティール・ギター・プレイにおどろかされる。ハワイアンの影響と思われるが、39年の時点でいったいどこでこのプレイをマスターしたのだろう、不思議だ。クパゴン・バンドでのシンコペートするリズムのとり方にはカリブ海の音楽の影響が感じられ、ゴメgomeと呼ばれる立方体の木製ベース・ドラムが叩き出す迫力は、パームワインというよりハイライフである。かと思えば、B.E.サッキーズ・バンド・オブ・アッパムのようにビートを細かく刻んで前ノメリに突っ込むような初期のパームワインの典型もある。また、オス・セレクテッド・ユニオンは、恋人同士の会話を男女掛け合いで歌にしている。クラリネットがフィーチャーされているのもめずらしい。
 
 ハイライフの呼称が生まれた50年代は、E.K.ニヤメ、オニイナといった革新的なギター・プレイヤーを輩出した。残念ながら、2人のプレイは収録されていないが、全体の半分近くをしめる9曲が50年代半ばの録音で本盤のハイライトをなす。クワメ・アサレの代表曲「ヤー・アンポンサー」'YAA AMPONSAH' のリフを用いるなど、パームワインからギターバンド・ハイライフへの過渡期的演奏を聴かせるE.K.アナン。ボンゴとウッド・ベースを効果的に用いたヤウ・オフォシ・シンギング・バンド。アコースティック・ギターとボンゴの軽快な伴奏に乗せて歌われるO.B.ズ・バンドの演奏は、どこかキューバのニコ・サキートのグァラーチャを思わせる。
 また、50年代はアコーディオンやバンジョーなどの楽器がギターに駆逐され、ギターバンド・ハイライフとして完成された時期であった。そんななかで6/8拍子の泥臭いビートにのせたクァドウォ・セイドゥの演奏は、ギターの代わりにアコーディオン(コンセルティーナ?)が使われていてたいへん貴重だ。
 
 ギターバンド・ハイライフは、50年代こそ、ダンスバンド・ハイライフの人気に推され気味だったが、60年代後半から世界的に台頭してきたロックの影響で、ダンスバンド・ハイライフに完全にとって代わってしまった。
 本盤よりやや時代の下った60年代のギターバンド・ハイライフの断面をドキュメントした"I'VE FOUND MY LOVE : 1960's GUITAR BAND HIGHLIFE OF GHANA"(ORIGINAL MUSIC OMCD019(US))を聴いておもしろいと思うのは、ギターこそアコースティックからエレキに持ち替えられているものの、基本的な音楽のスタイルは50年代からほとんど変わっておらず、それどころかいっそうバタ臭い方向にむかっているということだ。ここにハイライフがルンバ・コンゴレーズに人気を奪われた理由の一端があるとは思うのだが、この濃厚さこそが、かつて「貧民の音楽」と揶揄されたギターバンド・ハイライフのエッセンスといえる。
 
 このように本盤は、第2次大戦の影響から40年代の録音が含まれていないのは残念であるけれども、パームワインからギターバンド・ハイライフへの流れを概観する上で申し分ない内容である。満点といいたいところだが、わずか21曲というのは少なすぎるし、曲順やバランスにやや不満が残るため、今後より完全な復刻がリリースされるのを期待して1点減点することにした。


(2.25.03)



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by Tatsushi Tsukahara